なれるなら、推し本人か、推しの隣か。
推し活編には、こういう答えるのに一拍いる質問がときどき混ざっています。「なれるなら?」に2,267人が答えて、「推し本人」が9%、「推しの隣」が91%。推し活編の100問を偏りの大きい順に並べると、上から2番目に入る一問です。10人に9人が、本人ではなく隣を選びました。


隣に立てたところで、たぶん喋れません
同じ推し活編に「推しが目の前にいたら?」という質問があります。結果は「話しかける」が20%、「固まる」が80%(約2,400人)。目の前という距離ですでに8割が固まるのに、そのさらに内側にある「隣」を91%が選んでいることになります。
もう一問。「認知は?」は「されたい」が65%、「いらない」が35%(約2,100人)。覚えてもらいたい気持ちは多数派です。覚えられたいけれど、目の前に来られたら固まる。「隣」で望まれているのは物理的な位置ではなく、関係の距離のほうだと考えると、この三つの数字はきれいに並びます。声をかけ合う仲になりたいのではなく、その人がいる場所に自分がいてもおかしくない、という状態が理想として選ばれている。



本人になると、推す相手がいなくなる
「推しへの気持ちは?」は、「リアコ寄り」が29%、「尊い存在」が71%(約2,100人)。「推しは人生の?」でも「中心」が67%、「スパイス」が33%(約2,300人)です。7割が推しを尊い存在として置き、同じくらいの割合が生活の中心に据えている。
この配置で「本人になる」を選ぶと、尊い存在の席が空きます。見上げる相手が自分になってしまうので、推す行為そのものが成立しなくなる。91%が隣を選んだのは、謙遜でも遠慮でもなく、推しを失わずに済む選択肢がそちらしかなかったからという読み方ができます。人生の中心を明け渡すつもりがない、とも言えます。
ここで、比べておきたい数字があります。全ジャンル版の「有名になりたい?」は、「なってみたい」が48%、「静かに暮らしたい」が52%(約2万4千人)。ほぼ半々です。「目立つのは?」は「好き」が32%、「苦手」が68%(約2万6千人)で、こちらは目立ちたくない側が多数派になります。
有名になること自体に手を挙げる人は、少なくとも4割台はいる。それなのに、推し本人になれると言われて選ぶ人は9%まで落ちます。憧れは「なりたい」ではなく「見ていたい」の形をしているようです。同じ「すごい」でも、自分がそこへ行きたい気持ちとは別の回路で動いている、ということかもしれません。
「推し本人」を選んだ9%のほう
少数派には、いくつかの型が混ざっていそうです。
自分も表現する側に立ちたい人。推しが立っている場所から見える景色そのものに興味がある人。推しが背負っている負担や中傷を、代わりに引き受けたいと思った人。そして、隣が無理すぎて消去法で本人を選んだ人。最後の型は冗談のようですが、「目の前で固まる」80%を思えば、いちばん現実的な判断かもしれません。
この質問が「見られる前提」であること
推し活編は専用ページだけの100問で、答えているのはすでに沼の中にいる自覚のある人たちです。そしてリカイドの回答は、そもそも誰かに当ててもらうために作られます。
その条件下では、「本人」を選ぶことがオタクとしての姿勢表明に見えてしまう可能性があります。推しを対象ではなく目標として見ている、と受け取られかねない。9%は本音の下限で、心の中でこっそり本人を選んだ人はもう少しいると考えるほうが自然です。もっとも、それを確かめる方法は今のところありません。
推しの話は、聞くほうも聞かれるほうも構えます。だからこそ、こういう質問はクイズの形で置いておくとちょうどいいのかもしれません。