リカイドの2択は、そのほとんどが好みを聞いています。どちらが好きか、どちらを選ぶか。答えに正解も不正解もありません。ところが遊び・スポーツジャンルには、好みではなくできるかどうかを聞く質問がまぎれこんでいます。二重跳びもそのひとつです。
「二重跳びは?」に24,784人が答えて、「できる(できた)」が76%、「一回旋が精一杯」が24%。遊び・スポーツジャンルの100問のなかで、20番目に片側へ寄った質問です。



「できた」を許した瞬間、数字が跳ね上がります
同じジャンルで、能力を聞いている質問を並べてみます。「泳ぎは?」は「得意」が55%、「球技は?」は「得意」が42%で「苦手」の58%に負けています。どちらも現在形で、いま自分がどうかを聞かれています。数字は半々の周辺に落ち着きました。
二重跳びだけが76%まで跳ねた理由として、まず選択肢の書き方が挙げられます。「できる(できた)」——この括弧が、過去のどこか一度でも跳べた人を全員こちら側に入れています。小学生のときに5回跳べて、それ以来なわとびを手にしていない人も、堂々と多数派に立てるわけです。
ただし、もうひとつの読み方も残しておく必要があります。二重跳びは、泳ぎや球技とちがって達成の基準がはっきりしている技です。得意か苦手かという曖昧な自己評価ではなく、跳べたか跳べなかったかで割り切れます。学校でひととおり練習させられる機会もあり、実際に到達した人が多いだけ、という可能性は否定できません。
おそらく両方が効いています。基準がはっきりしていて到達しやすく、そのうえ過去の一回が今の申告に使える。この二つが重なった結果が76%だと考えるのが素直なところです。
一瞬の成功は覚えていて、続けるのは苦手
体育まわりの数字をもう少し並べると、この24,784人の輪郭が見えてきます。「得意なのは?」は短距離が66%、「運動会で燃えるのは?」はリレーが76%。一方で「筋トレは?」では「三日坊主」が76%を占めました。球技が苦手なのは先ほど見たとおりです。
短距離、リレー、二重跳び。上位に並んでいるのは、いずれも短時間で決着がついて、成功が一瞬でわかる種目です。逆に、継続や連携が必要なものは軒並み分が悪い。持久力とチームプレーで語られがちな体育の記憶が、実際にはもっと瞬間的なものとして残っているのかもしれません。
自分の手柄は自分の力によるものと受け取りやすい傾向は、自己奉仕バイアスとしてよく知られています。跳べた日のことは自分の成果として鮮明に残り、跳べなかった何十回はなわとびの長さや床の滑りやすさとして処理される。「できた」という記憶が実際の頻度より濃く残るのは、そう不自然なことではありません。


「一回旋が精一杯」の24%が押されている意味
少数派のほうを見ます。この選択肢は、正直に言うとかなり選びにくい書き方です。できないことを認めるだけでなく、「精一杯」という言葉まで背負わされます。それでも4人に1人がこちらを押しました。
跳べなかった理由は人それぞれです。縄が体に対して長すぎたまま調整されなかった人。順番待ちの列で、跳べる子が先に跳んでいく空気に飲まれた人。跳ぶ機会そのものが少ない学校だった人。単純に、興味がわかなかった人もいるでしょう。運動が苦手だったから、と一括りにできる話ではありません。
そしてこの2択には、「やったことがない」という選択肢がありません。なわとびに触れずに育った人も、この24,784人のどこかに混ざって、近いほうを押しているはずです。


当てっこの題材としては、めずらしく事実を聞いています
リカイドは自分の答えを先に決めて、友達に当ててもらうサイトです。その視点でこの質問を見ると、性格が変わってきます。
好みの質問なら、相手をよく知っていれば当たります。ところが二重跳びは相手の子ども時代の話です。中学以降に出会った友達には、確かめようのない情報になります。しかも当てる側は、相手が跳べたかどうかだけでなく、相手が自分の記憶をどれくらい盛るかまで読まないと当たりません。跳べたことにしておきたい人か、跳べなかったと笑って言える人か。正解率がその人の性格に左右される、めずらしい一問です。
なわとびの話を大人になってからする機会は、ほとんどありません。だからこそ、聞いてみると意外な答えが返ってきます。