


この言い合いが起きるくらいには、世の中の意見は割れています。リカイドの2択「花火は?」に16,881人が答えて、「打ち上げを見たい」が49%、「手持ち花火をしたい」が51%。遊びジャンル100問のなかで3番目、600問全体でも17番目に接戦だった問題です。夏の風物詩は、ほぼ完全に半分ずつ分かれていました。
同じ「花火」なのに、動詞が違います
この2択がここまで割れるのは、そもそも比べているものが違うからだと思います。
打ち上げ花火は見るもの、手持ち花火はするものです。片方は観客席の話で、もう片方は自分の手の中の話。前者には日程があり、場所取りがあり、電車の混雑があり、終わったあとの長い帰り道があります。後者はコンビニで買って、その日のうちに終わります。
つまりこの質問は「どちらの花火が好きか」ではなく、夏の一日をどう使いたいかを聞いているのに近いのかもしれません。数万人の中に混ざって空を見上げる予定を立てるのか、家の前でしゃがんで火が消えるのを見ているのか。同じ火薬でも、必要なものがまるで違います。
人混みは避けたいはずの人たちでした
ここで少し妙なことが起きています。リカイドで遊んでいる人たちは、ほかの質問ではかなり一貫して混雑を避けているのです。
「流行りのスポットは?」では「落ち着いてから行く」が8割を超えました。「お祭りで向かうのは?」でも、射的やくじではなく焼きそばなどの食べ物系が8割強。「休日に遊ぶなら?」はおうち派が半数を超えています。この人物像から素直に予想するなら、花火も手持ちが圧勝しそうなものです。
それでも打ち上げが49%まで来ました。読み方は2つあると思います。ひとつは、打ち上げ花火が例外として扱われているという説。ふだんは行列も混雑も避けるけれど、年に一度だけは許可が出る、という枠があるという見方です。
もうひとつは、これが行動ではなく願望を聞いた質問だという説。「見たい」という選択肢は、実際に去年行ったかどうかを問いません。人混みを想像した瞬間に足が止まるとしても、憧れとしては打ち上げを選べます。だとするとこの49%には、当日は結局テレビの中継を見ている人がそれなりに含まれている可能性があります。


割れたのは、たぶん夏の記憶が違うからです
好みが半々に割れる質問は、たいてい理屈で説明しきれません。この2択も、理由をたどっていくと子どものころの風景に行き着く気がします。
手持ち花火を選んだ人には、その手順ごと覚えている記憶があるはずです。ろうそくの火が風で消えて誰かが体で風よけになる。水を張ったバケツが用意される。最後に線香花火だけが残って、玉が落ちるまで全員が黙る。あの一連の流れは、体験した人にしか手元にありません。
ただし、これができたかどうかは環境にかなり左右されます。庭や駐車場のような火を使える場所が身近にあったか、近所に許してもらえたか。近年は禁止されている公園も多いと言われていて、条件は年々厳しくなっているようです。育った場所の事情が、そのまま好みとして残っている部分は小さくないと思います。
一方の打ち上げ派には、見上げたときの記憶があります。音が遅れて届くこと、浴衣で歩きにくかったこと、人の頭ごしに見えた光。手を動かした記憶と、見上げた記憶。どちらが上という話ではなく、単に別の夏を過ごしてきたという話です。
半々の質問は、相手の子ども時代を聞いています
リカイドは、相手の答えを当てる遊びです。49%対51%というのは、出題としては最高の数字になります。勘で選べば当たる確率は半分、相手をよく知っていれば上がる——当てっこが成立するのはこの領域だけです。
そして、この質問は当てるのが特に難しい部類だと思います。ふだんの生活を見ていても分からないからです。インドア派だから手持ちとも限らないし、写真好きだから打ち上げとも限らない。判断材料になるのは、その人が夏をどう過ごしてきたかという情報のほうで、それは何年か付き合っていても案外聞かないままになっています。
8月に出題すると、この質問はよく効きます。外れたときに返ってくるのが、好みの説明ではなく思い出話になるからです。

