答える前に、確認しておきたいことがいくつかあります。ごはんを選んだ場合、寿司はセーフなのか。チャーハンは。おにぎりの海苔は。パンを選んだ人は、パスタやうどんまで巻き添えで失うのか——。
そのあたりのルールが誰にも共有されないまま、リカイドの2択「一生どちらかしか食べられないなら?」には17,825人が答えました。結果は「ごはん」82%、「パン」18%。食べ物ジャンルの100問のなかで、6番目に片側へ寄った問題です。


極端な条件になるほど、人は冒険しなくなります
この82%とほとんど同じ数字が、実はもうひとつあります。「最後の晩餐に選ぶなら?」という2択で、「なじみの家庭の味」を選んだ人が8割強。「高級フルコース」は2割を切りました。
一生と最後。どちらも人生に一度の重い条件ですが、そこで選ばれるのは特別なごちそうではなく、いつも食べているほうでした。条件が極端になるほど選択は保守的になるという傾向が、リカイドの食べ物ジャンルにはかなりはっきり出ています。
慣れ親しんだものほど好ましく感じられる、という話は単純接触効果という言葉で説明されることがあります。触れた回数そのものが好意に変わっていく、という考え方です。毎日食べているものが強いのは当たり前に見えて、実は「おいしいから毎日食べている」のか「毎日食べているからおいしい」のか、順番はそう簡単に決められないのかもしれません。
ごはんが強いのは、主役を張らないからかもしれません
味の勝負として見ると、この結果は少し不思議です。パンには焼きたての香りがあり、種類も無数にある。それでも8割がごはんへ行きました。
ここで効いているのは、たぶん上に何を載せてもいいという性質のほうです。リカイドの「ごはんのお供なら?」という2択は、明太子とのり・ふりかけがほぼ半々に割れました。「目玉焼きにかけるなら?」でも、しょうゆとそれ以外が5割ずつで拮抗しています。ごはんまわりの質問は、どれもきれいに割れるのです。
割れるということは、それぞれの家に別々の正解があるということです。ごはんは味が薄く、主張が弱く、そのぶん組み合わせの自由度が高い。「一生これだけ」という条件を突きつけられたとき、人は飽きにくさで選びます。単体で完成しているパンより、まだ何も決まっていないごはんのほうが、残りの人生を預けやすかったのだと思います。



パン18%は、朝の人たちかもしれません
少数派の18%も、まとめて「パン好き」と呼ぶには内訳がありそうです。
ひとつは、朝食がパンで固定されている人。「朝ごはん、毎日食べる?」という2択では「抜きがち」が5割を超えていて、朝食は決して安泰な習慣ではありません。それでも食べ続けている人にとって、パンは1日の始まりとセットになっています。習慣の強さでいえば、夕食のごはんに引けを取りません。
もうひとつは、手間で選んでいる人。ごはんは炊くところから始まりますが、パンは袋を開ければ食べられます。ひとり暮らしの台所事情まで含めて答えると、パンのほうが現実的だという判断は十分にありえます。
そして、質問のルールを別に読んだ人。パンを選べばクロワッサンもカレーパンもサンドイッチも守られる、と解釈すれば、飽きにくさの計算はむしろ逆になります。この2択は、答えより先に前提を決めていて、その前提が人によって違うわけです。少数派の18%には、味の好みではなく読み方の違いで分かれた人がかなり混ざっているはずです。
好みを聞いたようで、自己紹介を聞いています
この手の「一生どちらか」という質問には、正解も実測値もありません。誰も一生を試したことがないからです。答えているのは事実ではなく、自分がどちら側の人間だと思っているか、という自己像のほうです。
その証拠に、料理名まで具体的にすると数字は途端に割れます。「一生禁止がつらいのは?」でラーメンと寿司を並べた質問は、ほぼ半々の接戦でした。個別のメニューでは意見が分かれるのに、主食というカテゴリになると8割が同じ方向を向く。食卓の風景を丸ごと思い浮かべたとき、人は自分の育った側を選ぶのだと思います。
だからこの質問は、当てっこにすると意外と外れます。ふだんパスタばかり作っている友達が、迷いなくごはんを選ぶことがある。そこで「なんで?」と聞けたなら、その人の実家の台所の話まで一気に近づけます。

