「どこでもいいよ」と言った人が、店の前でいちばん長く立ち止まる。あの現象には、たぶん名前がついていません。
リカイドの2択「決められないときは?」に18,616人が答えて、「最後は自分で決める」が53%、「人に決めてほしい」が47%。性格・価値観ジャンルの100問のなかで、10番目に接戦だった質問です。


迷うかどうかは、もう勝負がついています
面白いのは、優柔不断そのものは圧倒的な多数派だという点です。
「優柔不断?」という別の質問では「かなり」が8割近く、「即決タイプ」は2割ほどしかいません。「物事の進め方は?」でも「ノリと勢い」が8割で、計画的に進める人は2割。「衝動買いは?」は「しがち」が8割です。決断が速いわけでも、段取りがいいわけでもない集団だということが、いくつもの質問から一貫して出てきます。
つまりこの2択は、決められない人しかいない場所で、その先どうするかを聞いている質問です。だから割れます。迷うかどうかではなく、迷ったあとの出口を聞いているからです。
「決めてほしい」も「自分で決める」も、疲れの話かもしれません
47%が選んだ「人に決めてほしい」は、無責任の表明とは限りません。
選択肢が多すぎるとき、人は決めるという行為そのものに疲れます。ランチの店、今夜見る動画の1本、どれを選んでも大差ないのに時間だけが溶けていく場面は誰にでもあります。そこで誰かが「ここでいい?」と言ってくれるのは、判断の放棄というより分担に近い。決める体力を、もっと重い場面のために残しているとも言えます。
一方で53%の「最後は自分で決める」も、決断力の宣言ではなさそうです。むしろ逆で、人に決められた結果を引きずるのがしんどいから、という説明のほうがしっくりきます。「失敗したら?」という質問では「引きずる」が8割近くを占めました。人に選ばせた店がはずれだったときの、あの言いようのないモヤモヤを知っている人ほど、最後のひと押しだけは自分でやりたくなる。
「断るのは?」も「できる」49%対「苦手で抱え込む」51%でほぼ互角でした。決定権と拒否権、どちらもきっちり半々に割れます。人に合わせるかどうかは固定された性格というより、そのときどきのコストの計算で動いているのかもしれません。同じ人が、旅行の行き先は任せて、飲み物だけは自分で選ぶ。そういうことは普通に起きます。
この2択をクイズに入れる人がいます
リカイドは、自分の答えを先に決めて、それを友達に当ててもらうサイトです。ということは、この質問を選んだ人は「自分が迷ったときにどうするか」を、相手が知っていると思って出題しています。
そして、これはたぶん当てにくい問題です。9割が同じ側に寄る質問は、当たっても盛り上がりません。47%対53%の問題こそ、外したときに「え、そっちなの」が起きます。付き合いの長さが試されるのは、こういう半々の質問のほうです。
しかもこの2択は、外から見えにくい部分を聞いています。迷っている姿は誰にでも見えますが、最後に誰が決めたかは見えません。10分うなっていた人が、自分で決めたのか、しびれを切らした相手に決めてもらったのか。終わったあとの顔は、たぶんほとんど同じです。


